横浜市 南区 の 歴史
南区内では、「弘明寺遺跡」「殿ヶ谷遺跡」など数か所で古代遺跡が発掘されており、大岡川流域は古代から人々が生活しやすい場所と考えられています。
江戸時代、南区は武蔵国久良岐郡の一部で、農業が中心の村々でした。南区の中央を流れる大岡川は、蛇行の多 い川で自然の恵みをもたらすとともに大雨のたびにはんらんし、人々を困らせていました。1656年に江戸の商人 吉田勘兵衛が大岡川河口を新田として埋め立てる許可を江戸幕府から受け、大規模な工事が1667年に完成しました。 新田は「吉田新田」と名付けられ、その後、横浜発展のために重要な役割を果たしました。
横浜港の開港後、文明開化とともに新しい文化・技術・産業などが紹介され普及しました。1873年には南区万 世町で日本で初めて、せっけんが製造されました。また、横浜で最初の小学校が開設され、そのうちの3校が南区内につくられました(大岡・石川・太田小学校)。 1882年には、横浜の貿易商人たちが後継者育成のために、現在の横浜商業高等学校(Y校)の前身になる横浜商法学校を創立しました。吉田新田は、港町よこはまの発展に伴い、 市街地として発展しました。
1913年に、国内産業の奨励と貿易の拡大を進めるため、蒔田地区で「 横浜勧業共進会」が開かれました。共進会の会場跡地にはその後工場の進出、 住宅化が進められました。1914年に路面電車が弘明寺まで開通すると、区内はいっそう市街化が進みました。
開港以来発展を続けてきた南区のまちも、1923年の関東大震災により大きな被害を受けました。しかし、その後の復興により区画整理され、現在の街並みの原型が出来上がりました。
1927年には、横浜市の区制が施行され、現在の南区は中区の一部となりました。1930年湘南電鉄(現在の 京浜急行)が開通するとさらに市街化も加速しました。
1943年、第二次世界大戦のさなか、中区から分かれて南区が誕生しましたが、商業地域と住宅密集地域は度重なる空襲に遭い、市内でもっとも大きな被 害を受けました。区内に接収地が広がっていたこともあって、戦後の復興は容易 ではありませんでしたが、戦後の景気の上昇、昭和30年代以降高度経済成長などに伴い、徐々にまちは整備され、商店街は活気あふれるようになりました。1958年には南区役所庁舎が現在の場所に移転しました。
1960年頃から人口が急増したため、1969年には区の南部を港南区 として分離して、現在の南区となりました。南西部の開発などにより人口の増加は その後も強まり、交通の渋滞を解消するため、路面電車が廃止され、バス輸送に切り替えられました。1972年には市営地下鉄が、伊勢佐木長者町~上大岡間で開通し、区内に4つの駅が設けられました。また、1973年に現在の総合庁舎が落成したほか、さまざまな区民利用施設等も開設されました。なかでも区の中心を流れる 大岡川沿いにつくられた大岡川プロムナードは、桜や四季を通じて魚や水鳥などを楽しむことができる区民の憩いの場になっています。
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